ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章 段落125 [2011-06-22]

125 Here lies the answer to the question as to the constant urge in the heart of every human to know more about the composition of forms as well as the cause and purpose of action, for it is the Cause Parent impressing the effective child to know more about the vast possibilities so that he may enjoy all that the Father has to give.

125 ここにあらゆる人間の心の中に行動の理由と目的と共に、形あるものの構成について更に知りたいとする絶えざる衝動に対する答えがあります。何故なら、結果である子供が父が与えるべき全てを楽しめるよう、広大な可能性について知りたいとする印象を子供に与えているのは因の親であるからです。





【解説】

私達はこれまでも万物の創造主の存在を只漠然と「父」と呼んで来ましたが、それは2000年前にイエスがそう呼んだことから、それを真似ているに過ぎません。その「父」なる言葉の意味を深く考えたことは無いように思います。本項では私達人間各自に対し、等しく創造主が働き掛け、現在人が思う以上に素晴らしい世界の中に暮らしていることを認識させようと仕向けている「宇宙的生命の親」の姿について述べられています。

ここで私達は、既に自分の内側に広大な天国の要素が用意されており、私達は只それに気付くだけで良いのだとしています。細胞のDNA分子には知識と記憶の数々が含まれているのかも知れませんし、私達の持つ意識体の中には既に十二分な英知が詰まっています。私達は他に外に向かって求める必要は無く、心を鎮めてひたすら自分の内側に耳を傾け、印象に鋭敏になれば良いということでしょう。第二の誕生は、従来の心中心、感覚本位の生き方から、意識中心、印象中心の生き方への一大転換を必要としています。


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