ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落118 [2011-06-13]

118 It behooves us then to study Principle instead of focusing all of our attention upon the effects of Principle (source of origin). When we direct our attention towards that inner guiding force we become fully awake and feel the inter-relationship of all life. There has never been a time when one released the personal ego to this inner force that he has not seen some immediate result of action; so as one becomes more fully aware of his oneness with the All-Intelligence his faith is increased and consequently his fear is decreased. Faith is the result of one's unity with the Whole, and such unity cannot take place until every thought of selfishness with its whole category of resultant fears steps aside and leaves the highway of understanding free of barriers. So we may see that absolute faith is not of easy attainment - it must come through a gradual growth just as all things change by degrees. Faith is actually an expansion of conscious awareness to include more knowledge and certainty of action.

118 ですから私達がその注意をすべて法則(源泉)の結果物に集める代わりに、法則を学ぶべきということは当然なのです。私達がその内なる導きの力に向かって注意を向ける時、私達は完全に覚醒し、全生命の相互関係を感じ取るようなります。人が個人的エゴをこの内なる力に解き放つ時、行動の直ちに起こる結果を見ないままで終わることはありません。ですから、人が自身が全英知と一体になっていることに、より完全に気付くようになるにつれて、その者の信仰は増し、その結果、その者の恐怖は低減します。信仰とはその者が全体と一体になった結果であり、このような一体化は全ての結果に及ぶ利己的なあらゆる想念が脇にどいて、理解の王道から障害が無くなるまでは有りえません。ですから、私達は絶対的な信仰というものは容易には達成できるものではないことは分かると思います。それは、丁度、全ての物事が少しずつ変化するのと同じように、なだらかな成長を通じて実現する筈です。信仰とは実際には、行動に対するより大いなる知識と確かさを含む意識的知覚力の拡張であるのです。





【解説】

Faith(信仰)のまとめです。前項(117)でも述べられていたように、私自身の内側、即ち、自分の手足よりももっと近く、私という存在の近くに力強い導きの力があり、その力こそ万物を支配する法則を司っているという訳です。

そのような恵まれた環境の中に私達が居る以上、外側の現象化済の世界にのみ心を奪われることなく、内なる存在に対し、敬意を払ってその導きを信じることが大切です。

また本文にあるように、この法則は現象世界を統制している以上、そこを通じての理解は直ちに実現力のある想念波動として物質界に作用し、具体化する筈です。それ故、本文にも速やかに結果として表れると表現されているのです。

私達の進化の道は着実に一歩一歩の歩みが必要で、毎回の成果を確認しながら、前進することになります。


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