ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第09章 段落104 [2011-05-24]

104 It is true that the step into the wholeness of life carries us into the unexplored but what would our existence be if we remained always in the world of the obvious? Delving into any subject takes us from stagnation to knowledge and progress. There is no need for any one remaining in the state of disintegration or static mental condition when everyone is privileged to step into the newness of things and study in the school of everlasting advancement. There is no place to which a man is bound; he may go forward freely whether it be in a world of acts or in the universe of facts. There is no standing still; one must go either up or down, and the upward step is always the proper one to take. All of the storehouses of earthly knowledge in which various manuscripts are treasured contain not even a beginning of the wisdom that is held within the storehouse of the cosmos.

104 生命の全体性への歩みは私達を未踏に運び入れますが、もし私達が明らかな世界にいつも留まっていたら、私達の存在意義は何なのでしょう。どんな課題でもそれを掘り下げることは、私達を停滞から知識と進歩に連れ行きます。誰もが物事の新しさへの一歩が与えられ、永続する前進の学校での学習が与えられているというのに、誰一人、崩壊或いは静止した精神状態に留まっている必要はありません。人が縛りつけられている必要のある場所は存在せず、人は行動の世界や事実の宇宙の中であれ、自由に前進することが出来るのです。静止しているものは何一つありません。人は上昇するか下降するかのいずれかであり、上向きの一歩は常に取るべき適切なものです。様々な原稿が収蔵されている地球上の知識の宝庫(訳注:図書館を指す)の全てでさえ、宇宙の宝庫の中に保存されている英知のはじまりさえも含んでいないのです。





【解説】

私達がどう思おうと、私達が暮らす宇宙は、統合された生命が活発に活動する躍動感溢れる世界です。その中では何一つ静止するものはありません。役割を終えて静止するものは、直ちに分解し、新たな要素に取って代わります。その中では「死」のまま継続するものはありません。

このように考える時、停滞というものは宇宙には存在しないことが分かります。当然、私達自身についても言えることで、向上心や探究心が薄ければ、退化や老化が起こることになります。いつも思うことは自然の中で観察して見ると、自然の中では皆、活発で生き生き暮らしているということです。各々の一生は短く、生存競争も激しい筈ですが、野原に出て、先ず弱弱しいものを見たことはありません。その理由の一つは弱いものは自然界では生きて行けないことや、寿命を終えたものは速やかに舞台から退場し、新しい存在に取って代わるということもあるでしょう。しかし、それに加えて、自然界の各構成員が季節の変化等の環境の変化に柔軟に対応し、調和の中、命がけで各自の生命の表現を行っていることに気付く必要があります。その活動を支えているのはが、本項で言う統合された生命と言うべきものです。


第09章 段落103 [2011-05-23] <<  |  >> 第09章 段落105 [2011-05-25]