ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第08章 段落094 [2011-05-10]

094 The mortal may be likened to a violin, which is the closest to the human expression known as man. Upon the violin there are only four strings; through the medium of those four strings can the coarsest or the most celestial melodies be played but the Instrument is only a bit of wood and string until it is acted upon by a conscious intelligent force. The sounds produced depend upon the skill of the musician. The four senses in the instrument called man are unable to bring forth any expression of life without the aid of the All-Inclusive consciousness which is feeling.

094 死すべき人間はバイオリンになぞらえることが出来るかも知れません。バイオリンは人として知られる人間的表現に最も近いものです。バイオリンには4つの弦しかありません。それらの4つの弦の媒体を通じて最も粗いものも最高に天上的なメロディーも演奏されることが出来ます。しかし、その楽器は意識的な知性を持つ力によって演奏されるまでは、単なる木と弦でしかありません。作り出される音はその音楽家の技量に依存しています。人と呼ばれるその楽器における4つの感覚は、触覚である全てを含有する意識の助け無しでは、如何なる生命表現をももたらすことが出来ないのです。





【解説】

楽器単独では音楽を奏でることは出来ず、必ず演奏者が必要であることは言うまでもありません。しかし、この楽器を人体に置き換えれば、人が本来の活動を為しえるためには、常にその演奏者である創造主に身を委ねる必要があります。もちろん、楽器としての身体の整備や弦である4感覚の調和と調製が演奏に先立って行われなくてはなりません。

テレビ番組でも著名な演奏家による音楽番組が時折放送されますが、それらを見ると演奏家は自分の分身として楽器(バイオリン)を自らの身体に押し付け、一心不乱に楽曲を追求していることが分かります。それと同様に私達が創造主に身を委ねるということは、それと同様な熱心さや没入感によって創造主と一体になり、私達の4感覚の表現分野を通じて何かを表現していることになります。その状況は単に私達が創造主と一体になるというよりは、創造主が私達の方に没入し、ご自身の表現したいイメージを私達(楽器)を通じて表そうとしているという、大変活気ある行為であることに気付きます。


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