ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第08章 段落092 [2011-05-06]

092 Within the last few years the attention of the world of science has been attracted to the many cases of suspended animation where the body remains for months in a state of perfect preservation. The sense organs are normal, yet they cease to function in a conscious way. Why? Because most of the feeling has left the body; approximately ninety-nine percent of the consciousness has left, and while one percent of feeling within the body keeps it from disintegrating, this is not enough to cause any apparent awareness within it. Many of these cases have reentered into active life. The feeling had again taken possession of the body and reanimated the inert organs of sense producing in them a state of conscious awareness. If understood rightly these four senses of man correspond perfectly to the four elements of creation, and the so-called fifth sense is the stimulus which imparts to them the animation necessary to produce conscious functioning.

092 過去数年間、世界中の科学の注目は、肉体は何ヶ月も完全な保持状態である中での生気が中断している多くの事例に引き付けられて来ました。感覚の諸器官は正常なのですが、それらが意識的には機能しなくなっているのです。何故でしょうか。それは触覚の大部分が肉体を離れてしまっているからです。概ね意識の99%が離れてしまっており、肉体の残り1%の触覚が肉体の分解を抑えており、これでは肉体内部に知覚をもたらすには十分でないのです。これらの多くは再び生気を取り戻しました。触覚が再び肉体内の位置を取り戻し、不活発な感覚器官を再び活性化し、意識ある覚醒状態にしたのです。もし正しく理解できれば、人間の四つの感覚は創造の四つの要素に対応し、いわゆる第五感覚は、意識的機能を作り出す為に必要な活性化を与える刺激ということが分かります。





【解説】

いわゆる本人の意識が無いと称される状態です。その程度は本当の臨終の状態から、いわゆる植物状態や脳死と呼ばれるものまであると思われますが、いずれにしても触覚的要素が機能しなくなっていることになります。また、本文中に「意識の99%が離れてしまっており」とさり気なく著者が表現していることにも注目したい所です。丁度、意識なるものが身体内から別の所に移動するような状況を表現している訳です。その結果、万一、更に意識がその肉体を離れれば、後は屍(しかばね)だけが残ることになります。実はその屍という意味合いが、よく出てくる「Mortal(死すべき)」ということで、各感覚はその窓口である感覚器官も含めて、その死すべき肉体に帰属しているという意味で「死すべき人間の心」という表現されて来たものと思われます。

触覚についての研究事例を見ると、人間の皮膚をはじめとして触覚の受容器は身体内に広く分布しており、外部からの刺激に対して常に警戒状態にあることが分かります。私達は自らの心なるものが具体的には何処にあるのか明確には教えられていませんが、おそらくは頭脳に分布しているものと思われます。それに対して生命の源にも通じる触覚は全身くまなく分布し、想念活動も含め、私達の生命活動を支えているということになります。


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