ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第08章 段落091 [2011-05-02]

091 Each sense is able to operate independently of the other senses only so long as it is supported by the life force of feeling, but the feeling or consciousness is entirely independent of the four senses. The sense of sight, taste, smell and hearing might all be destroyed and yet so long as the feeling remained man would be a conscious, active being, knowing joy and sorrow, peace and pain, and altogether very much alive. The feeling is indestructible. It is the eternal, the everlasting intelligence. The destruction of the body cannot destroy the feeling, which is consciousness. It is like the electricity which flows through the wires to the bulb to produce light. If the bulb is destroyed the electricity cannot produce light through it, but the electricity is not destroyed. On the other hand, if the electricity is withdrawn it matters not how good the bulb may be there will be no light emanating from it.

091 各感覚は触覚の生命力によって支えられている限りのみ、他の諸感覚から独立することが出来ますが、触角あるいは意識はその四感覚とは完全に独立しています。視覚、味覚、嗅覚そして聴覚が全て壊されても、触角が残る限り、人は意識があり、行動でき、喜びも悲しみも平穏さも痛みも感じることが出来、まったく活発に行動できます。触覚は破壊されることはありません。それは永遠であり、永続する知性なのです。肉体の破壊によって意識である触覚が破壊されることはありません。それは光を作り出すために電球に電線を通じて流れる電気のようなものです。もし電球が壊されれば電気は電球を通じて光を作り出すことは出来ませんが、電気は破壊されることはありません。もし電気が取り消されれば、電球が如何に良いものであるかは問題にならず、電球から光が出ることはありません。





【解説】

そもそもの感覚の機能を下支えしているのが触覚という訳です。この「触覚」、原文では「feeling」という表現が用いられており、直接的なイメージとしては、"何か対象物と触れて受ける感触"を意味するように思います。昆虫等にある触角が様々なものに触れて、安全なものかどうかを見極めて前に進むような時に用いられる感覚です。私達の人体は、身体全体に触覚を張り巡らしており、各部から発せられる痛みや痒み等の警報を感受し、身体全体の維持に役立てています。

これら身体各部に、いわば意識を行き渡らせて身体全体の一体感を作り上げるのが、触覚の役割なのかと思われます。それは私達自身の身体各部に自分の意識を巡らせることにも一致していることから、触覚は意識と一致しているように思われます。このような身体全体を支えている触覚的要素に対して、四感覚がどのように自分の意見を押し出して全体を支配しようとしているかについて、私達は日々の生活の中から観察し、それらの行動をコントロールしなければなりません。


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