ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第08章 段落087 [2011-04-25]

087 We have looked upon ourselves as a five sense being possessing the attributes of sight, hearing, taste, smell, and feeling or touch. We have drifted along idly contenting ourselves with this analysis of our makeup, but recently we have become quite curious to know just how these senses work and what they are. In our seeking we have run our craft upon a rock. We have been unable to account for certain elements of action which we have encountered in our daily lives and so to relieve the tension of this uncertainty some of our most learned theorists have endowed us with a sixth sense. To this added sense has been attributed all the phenomena that have been unexplainable in the five sense man. In fact there have been those who have sought to add a seventh sense. The mortal mind seems to have a faculty for complicating that which is very simple and thereby creating confusion instead of understanding.

087 私達は自分自身を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚ないし感触の5つの感覚の属性を持つ存在として見なして来ました。私達は私達の成り立ちをこの分析で無益に満足したまま漂って来ましたが、最近になって私達はこれらの感覚の作用がどのように行なわれるか、またそれらは何であるかについて大いに知りたいと思うようになりました。私達のこの探求の中で私達は自らの乗り物を岩に乗り上げてしまいました。私達は私達の日常生活の中で出会ったある種の行動の要素を説明することが出来なかった訳であり、この不確かさの緊張を和らげるために、私達の最も学識のある理論学者達は私達に第6番目の感覚を授けたのでした。この付け加えられた感覚に5つの感覚の人間となる説明不可能な全ての現象が割り当てられました。本当は第7番目の感覚を追加した人達もいたのです。死すべき人間の心は、とても単純な物事を複雑にする才能があるようで、これにより理解の代わりに混乱を創りだしています。







【解説】

自然界における他の多くの生き物が共通に持っている優れた感知力は、多くの場合、「本能」と称されるだけで、人間には当てはまらない、また稀に現れた時でも「超能力」ということで、到底一般の私達が身に付けることは出来ないとされて来ました。その中には本文にある「第6感」という概念もある訳です。

しかし、アダムスキー氏の伝えている最も重要なことは、このような透視や予知能力というものが特別な能力ではなく、私達の通常の能力として位置づけられる、言い換えれば誰もがその開発に向かって歩んで行くことが求められているとしている点です。そして、その際に既存の私達は視覚から嗅覚までの四つの感覚に支配され、それらの意思に振り回され、それらの感覚が感知出来ていない対象物については無頓着であるということでしょう。

前項(086)でも述べられた通り、心理学等の分野を含めていわゆる自己開発には様々な活動や導き手が出回っていますが、肝心の出発点が誤っていれば、それらの発展性はない訳で、私達はこの基本事項から日常を振り返って見る必要があるということです。


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