ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第05章 段落070 [2011-03-31]

070 We have been taught that all things are possible with God. God is consciousness, and man cannot separate himself from consciousness for he is that. Are not all things also possible therefore, with man? Jesus the Christ understood this unlimited capacity for expansion when he said-"Greater things shall you do than I have done." He put no limitations upon himself or upon another. It is through the understanding of the consciousness, which is oneself, expressing through all forms that gives one the power to control all elements. Cannot a being command himself into action? Cannot consciousness direct its own movements? This mighty Cosmic force, with power to do and the intelligence to direct, is the most generous giver of all things to those who utilize every fleeting conscious moment, but it turns a relentless executioner in the hands of those who pay no attention to its gift of Ideas.

070 私達は全てのことが神にあっては可能だと教えられて来ました。神は意識であり、また人は意識から分離できません。何故なら人は意識であるからです。では、全ての事柄もまた、人間にあっては可能ではないでしょうか。イエス・キリストは「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」と言った時、この拡大する無制限の能力を理解していたのです。彼は自分自身にも他の者にも如何なる限界を設けていませんでした。それは全ての元素を支配する力を与え、万物を通して表現している自分自身である、意識の理解を通じてのことです。何人であれ、自分自身に行動せよと命令することは出来ないことでしょうか。意識はその運動を指図出来ないでしょうか。この力強い宇宙的力はそれを為す力と指導する知性を持ち、意識的瞬間の束の間のひとつひとつを活用する者達にとって全てのものを与える寛大な贈与者ですが、一方、そのアイデアの贈り物に何らの関心を払わない者達の手にあっては情け容赦の無い執行人に変貌するのです。





【解説】

本項は私達が「意識に向き合う」際の心構えを述べています。

意識があらゆるものを動かし、私達自身を含めて宇宙空間に存在する全てのものを、言わば統一的に活動を制御する等、莫大な力を持っていることは、これまでも述べられて来た通りです。そのことに気付けばまた、前項(069)で述べられたように、その意識と交わる立場にある私達には本来、無限の可能性があることが分かります。従って、このことを自覚する時、私達はあらゆることを実現出来る存在であることに思い至ることになります。

その為には意識の贈り物、即ち、瞬間瞬間に来るアイデアや想念に絶えず関心を持ち、幸運にもそれらを感知出来れば、それを大切に取り扱って、自分の発展に活用すべきことは言うまでもありません。この姿勢は従来からの単に意識を礼賛するだけの姿勢とは異なり、各自の心を鎮ませて、宇宙根源の送り主からの静かなメッセージを受信しようと耳を傾ける態度です。

また最後に、それらの指導に耳を貸さないで過ごした者に対しては、厳格で容赦ない執行人としての意識の姿にも言及されていますが、これらは仏教寺院の仁王像や憤怒の像も同様なことを意図しているものと思われます。

いずれにせよ、私達は意識というものの存在をまずは自分自身に認めさせ、自然界の様々な活動をその作用の結果として観察し、学ぶことが重要です。


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