ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第03章 段落047 [2011-02-21]

047 We know that in the pool of clearest water the first wave that was started, in its passing, gave to the next its force and animation. And that, in turn. imparted added motion unto the following molecules of water. Without the unity of the whole mass no particle could know the primal action. The cosmos is like unto the pool from out whose center flows the rhythmic motion - it is the clear calm sea of undivided consciousness upon whose surface there arises innumerable wavelets of vibration. Each form, in turn, contains the same - beginning with one basic impulse evolving to countless particles of motion, each one attuned unto the primal urge. Again, each tiny central point of action is offspring of the Great Heart of motion. To the understanding of the mortal man these countless points of action are perceived as separate entities within the varied kingdoms. Upon the earth man gives the name of mineral unto the denser substance that he sees; a little higher is the vegetable, and then there comes the animal and fowl, which leads up to the consciousness of man who separates the Allness into parts and draws a line where no such line could be, for through the whole vastness of the Cosmos the Primal Impulse incarnates itself and as the ripple in the pool gave up itself to create something greater, so does each manifested form of each kingdom release itself into evolvement. The innumerable minerals give up their impulse to plant life, the plant, in turn, releases energy unto the higher consciousness of flesh. There is nothing that can live alone, nor any spark of energy destroyed. All impulse lives and acts eternally, passing from form to form and in its passing charges all substance with emotion and creates ripples on the Sea of Being.

047 私達は透き通った水からなる池の中で、始まった最初の波は進む中で隣にその力と行動を与えていることを知っています。また、そのことはそれに続く水の分子に運動を伝達することでもあります。全ての物質の一体性が無ければ、如何なる粒子もその原始の行動を知ることは出来ませんでした。宇宙とはその中心からリズミカルな運動が流れ出る池のようなものです。それは表面に無数の振動するさざ波が起こる、分裂の無い意識からなる清澄な静かな海です。各々の形あるものは、今度は同じものを含んでおり、無数の粒子の運動を展開する一つの基本的な衝動から始まり、各々はその始原なる衝動に調和しています。更に各々の小さな行動の中心は運動の偉大な中心でもあります。死すべき人間の理解にとって、これらの無数の行動の中心は様々な王国の中の分離した実体のように受け取られます。地球に対して人は自分が見るより密度が高い物質を鉱物という名前で名付けますし、より高次なものを野菜、そして次に動物や家禽類等が入ります。これらは人間の意識にまで至りますが、それは全てを部分に分け、本来、そのような区別のあり得ない所に線を引いています。何故なら宇宙全体の広大さの中に始原なる衝動が化身し、池のさざ波のように自身をより大きな何かを創り上げる為に捧げているからで、各々の創造された形あるものは進化の為に自身を解放しているのです。無数の鉱物が植物の命の為に自分達の衝動を捧げ、植物はより高次な肉体の意識にエネルギーを放出しています。独りだけで生きて行けるものは何一つありません。また、破壊される如何なるエネルギーの火花もありません。全ての衝動は形あるものから形あるものに移行しながら生き続け、永遠に行動し、移行する過程で全ての物質に感情をみなぎらせ、実在の海にさざ波を創り出すのです。







【解説】

波が伝播する為には、各々の場の存在物が自身をひたすら波の表現者になりきって、隣接するものにその内容を伝えようとしなければなりません。一つでもその任務を怠るや、波は伝わることはありません。宇宙は各構成要素がこくした自己を因なるエネルギー波動の表現者に徹することで成立している訳です。

一方、こうしたいわば「個我を捨てる」のは何故出来るかについては、「個我を捨てる」ことによって、むしろ全体との一体性が生まれることに注目すべきだと考えます。全体に自我を没入させることによって、より深遠な振動が体内を通過しやすくなるものと思われます。

本項及び前項にありますように、物質の奥深く因の領域から絶え間なく精緻な「調べ」が流れてくる訳ですが、その振動も最下流ではその現れも粗くなると述べられていました。人体に例えれば、身体の内奥の中心部から発信される振動が外気と接する所、即ち、皮膚は最も組織が粗いのかも知れません。私達が日常、気にしがちな「顔」等は、その最たるものではないでしょうか。本来、私達の誇れる良質な組織は、身体の内側にこそあるように思います。




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