ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落378 [2010-11-24]

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.

378 理解は知識に生きることです。私達が各々の行為の裏にある目的を理解する時、私達は裁きを行ないません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。





【解説】

ここでは、私達が日常暮らす中で、自分も含めてどのように対象物を見て行くべきかを明示しています。とかくこの分野の学習を進めて行くと、学んでいる分野と現実の一般社会との乖離が大きく感じるようになります。その結果、却って様々な欠点や問題が多く発生することになり、実は気を付けなければならない「裁き」を犯しがちになります。

これに対して、本文にあるよう、私達は例え問題の行為であっても、先ずはその背後にある行為の意図と理解せよと言っています。決して「賛同」しろというのではなく、公平な目でどのような事情があったのか等、背景を知ろうとせよということです。このプロセスを踏むと、その行為に対し、裁きは出来なくなり、宇宙全体における関連性という視点の中で、どのようなことなのかを考える観察者になれると言っています。

良否や善悪を超えて、全ての行為は宇宙の因の後ろ盾があることに私達は気付く必要があります。






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