ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落371 [2010-11-12]

371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.

371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。





【解説】

言い換えれば、全てのものに対し、その存在意義を尊重し、自分と対等の関係に据えることが必要なのです。これは動物、植物、その他何物についてもそうあるべきです。万物は同じ根源から生れ出たこと、またその表現は個々の創造物によって異なり、それが世界の多様性を生み出し、豊かにしている訳です。

一方、私達はとかく限られた自分の経験や好みを基準に、これら創造物を値踏みし、評価しています。これはあくまでその本人の評価でしかなく、真実を捉えている訳ではありません。折角の新しい出合い、新たな世界の発見にも至るかも知れないチャンスに、自分の貧しい判断からその門を自ら閉ざすことは残念です。

まして、想念の場合、二度と巡り会うことはないかも知れません。このような大切なアイデアについては、私達は先ずは全てを受容し、心の中を通して、その行く末を見守り、その想念が何を伝えたいかを見極める必要があります。受信した想念に暖かく接することが、心を鎮め、感受性を高めることにもなるように思います。


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