ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落367 [2010-11-08]

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.

367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。





【解説】

横道にずれる傾向は、誰でも学生時代に経験していることかと思います。詳しくは次項(368)に例が出ており、本項(367)はそうならない良い例を示しています。

実はそれほどに心に抱く想念の一貫性を保つのは難しいことなのかも知れません。少しでも心が受容出来ない要素が見つかるや、次々に疑問に類似した想念が入り込み、混乱してしまう訳です。

とりわけ、物事をはじめて学ぶ時には、伝え手に対し、100%受容する態度が必要ですが、この場合も先ずは伝え手が完全に信用できることが前提であることは言うまでもありません。世の中の多くの宗教が信者を支配しがちなことも事実であり、私達は誰を師とするかについては、慎重である必要があります。その点、最も良いのは自分の内奥から来る印象で、これが最も信頼出来る源泉ということになります。


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