ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落358 [2010-10-21]

358 One day, by means of this human instrument upon which we look so condescendingly today, we shall produce miracles of manifestation such as our world has never known. But recognition of its telepathic potentialities must come first. A definite self-training program must then follow if we ever hope to place these divinely created bodies on the same level as the mechanical devices we now deem so miraculous. There exists such a vast scope of working possibilities in the area of mental and psychological development, that the adventurous soul need have no fear of running short of fields to conquer.

358 いつの日にか、今日私達がそれほどに腰低く見上げるこの人間の道具を用いることによって、私達は私達の世の中がこれまで見たことのないような創造の奇跡を造り出すことでしょう。しかし、そのテレパシックな潜在能力に対する認識が最初になければなりません。もし私達がこれら神聖に創造された肉体を私達が今日奇跡だと考える機械装置と同じレベルに位置付けるなら、確固たる自己訓練計画が次に続かなければなりません。心や心理学上の発達の分野には広大で実際に役立つ可能性が存在しており、冒険好きな魂にとって征服すべき分野が不足する心配はありません。





【解説】

「神の道具としての人間」の側面を発達させることが大変な意義あることだということなのです。イエスは多くの奇跡を現実にやって見せたのも、その可能性を人々に示したかったからと思われます。

神の道具に成り切ること、自我をその僕(しもべ)にまで小さくすることから始まるという訳ですが、その後も決意を持って自己訓練を行うことが必要だという訳です。一般的に、これは長い道程になると思いますが、それでもその歩みは次の生涯にも受け継がれるものと考えています。

その神の道具になることによって、これまで想像も出来ない程の物事が実現するとしています。内容はわかりませんが、宇宙の創造の力が直接働くとなれば、必要に応じて様々な奇跡が起るものと思われます。その一つが知識や情報が必要に応じて湧き出ることです。生前、アダムスキー氏は書物を持たなかったと言い伝えられています。それでも、テープの記録を聴きますと、人々と会話する中で驚くべき程の多様な知識と情報が出ていました。それら豊富な知識の源泉もこの能力拡大の一つだと考えております。


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