ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落353 [2010-10-14]

353 Through millions of years of evolution, man is endowed with physical senses and a faculty for reasoning; and he has come to depend solely upon these avenues of perception. But what of nature? Does it possess the faculty of reasoning? Is it endowed with the organs of sight and hearing, taste and smell? Does the tiny seedling germinating in the warm, dark bosom of the earth use recognized sense perceptions to decide which chemicals to extract, and which to reject for proper growth?

353 何百万年もの進化の間、人間は肉体の諸感覚と論証の能力を授けられて来ており、これらの知覚経路のみに依存するようになりました。しかし、自然はどうでしょうか。自然は論証能力を持っているでしょうか。視覚や聴覚、味覚や嗅覚を授けられているでしょうか。大地の暖かく暗い懐の中で芽を出している小さな種は、適切な成長の為にどの化学成分を抽出しどれを拒絶するかを決定する為に感覚による知覚を用いるでしょうか。





【解説】

ここでは肉体の感覚器官を唯一の拠り所として長年、確実な論拠を求めて歩んで来た一方、大自然はこれらの感覚を一切当てにしていないことを述べています。大自然の中で刻々と営まれている微生物や植物の世界では、生命活動は皆、フィーリングの経路を通じて、必要な判断が行われています。

もちろん、暗黒の世界、音も無い静寂な世界の中、多くの生き物が暮らしているのが、地中での生活ということになります。また、よく思うのは、自身の肉体についても、光を感じるのは眼や身体の表面に限られ、圧倒的な部分や光が無い場所で、各々の臓器が各々の役割を果たしていることです。私達は眼をつぶったり、真っ暗な部屋に入ると、途端に不安感が起りますが、実際の生命の本体は、光りの有無には関わり無く、活動を行っている訳です。

地中の生き物として、ミミズの果たす役割が大きいことが言われていますが、彼らはどのような感性で地中で暮らしているのか、たまには意識を向けるのも良いかも知れません。私達が日常、気が付かない場所で、私達の生活を支える多くの生き物達の働きがあり、それらは皆、フィーリングという経路を用いて生きているのです。


第3部 3章 段落352 [2010-10-13] <<  |  >> 第3部 3章 段落354 [2010-10-15]