ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落350 [2010-10-08]

350 What was it that enabled me to receive the thought of deception in this particular case? It was not the eyes or ears, for the meeting took place in another city, some distance from me. Was it the brain? No. The brain is merely a transformer and amplifier within the body. While it is true that any vibration striking the body is carried to the brain to be transformed into conscious perception, the actual reception of that vibration does not depend upon the brain, but upon the element of feeling within the nerve plasm of the body. This element is that positive nuclear spark, or soul, of the atoms composing the physical body. So the thought of deception came to me through the feeling channel.

350 この事例で私に策略の想念を受信させたのは何であったのでしょうか。それは目や耳ではありませんでした。何故ならその会合は別の都市、私の所からはかなり離れた場所で行われたからです。それでは頭脳であったでしょうか。いいえ。頭脳は身体の中の変換器や増幅器でしかありません。いかなる振動も頭脳に運ばれ意識的な知覚に変換されることは真実ですが、実際の振動の知覚は頭脳に依存せず、身体の神経原形質の中のフィーリングの要素に依存しています。この要素は肉体を構成しているプラスの核のスパークあるいは魂のことです。ですから策略の想念はそのフィーリングの経路を通じて私にやって来たのです。





【解説】

そもそも「フィーリング」というものに対して、それが何処にあるかについて、本項ではじめてその所在を明らかにしています。元来、「フィーリング」という語彙の中にはfeel(感じる、触れる)という触覚あるいは触感に似たイメージがあります。しかし、アダムスキーしは以前、touch(触感)とfeeling(フィーリング)とは異なると述べていましたが、本項からそれらは広い意味で神経細胞の働きに属することが分ったように思います。

即ち、私達が求めるフィーリングは私達の身体各部にはり巡らされた神経細胞が外界から衝突して来る何らかの要素を感知してそれらの情報を頭脳に上げることから実現する訳です。その際、実際に神経細胞のどの部分が働いているかは不明ですが、それは各原子の中の核のスパークと表現される精妙なる活動状態とも関連すると本項では示唆しているのでは。神経細胞は絶えず身体の異常の有無を監視する等、私達にとって頼りになる存在ですが、同時に印象の傍受をも担っています。


第3部 3章 段落349 [2010-10-07] <<  |  >> 第3部 3章 段落351 [2010-10-12]