ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落348 [2010-10-06]

348 Science, in its investigation of telepathy, has come to the conclusion that it is the result of a refinement of the sense organs, whereby they are able to pick up light or sound vibrations from a distance. But let us take a case in particular. A mental picture appeared to me of a conference between two individuals with whom I was acquainted. I saw the room in which the meeting was taking place very clearly, and the voices of both men were as distinct as if they were standing beside me. There seemed to be the greatest friendliness between them, and their transaction appeared to be of the most sincere and amiable character. But I became aware that a deception was being premeditated by one of the men.

348 科学はテレパシーを調査した結果、それが感覚器官を純化させ、遠方からの光や音を捕捉できるようになった結果であるとの結論に達しました。しかし、ある事例を特に取り上げましょう。私に私が知り合った二人の人物の間の協議の場面の映像が現れたのです。私にはその会合がもたれた部屋がとてもはっきり見えましたし、二人の男の声もあたかも二人が私のそばにいるように明確でした。彼らの間にはこの上ない友好的な雰囲気があり、彼らのやりとりは大変誠実で好意的な性質のものでした。しかし、私は彼らの内一人によってある策略が企てられていることに気付いたのです。





【解説】

本項はテレパシーの本質が既存の感覚器官の発達によるものとは無縁であることを示唆しています。とかく私達は目を凝らして、耳を澄ませて物事の本質を探ろうとしますが、それではテレパシーの開発は出来ないと言っているのです。本来のテレパシーは別の所、即ち、フィーリングという既存の感覚器官とは独立した経路から来ると言っているのです。

本文では著者アダムスキー氏自身の体験として、とても明瞭なイメージを得た事例を紹介しています。もちろん、著者に備わったテレパシー能力の一例なのですが、注目したいのは、そのイメージ出現の理由です。この場合、著者が大変重要だと感じる出来事についてのイメージであったことが重要だと考えます。つまり、知人の一人がまさに危険な目に遭っていることを著者が遠方から感じ取り、具体的な状況を把握していたという訳です。

自分が大事にしているものは、例え遠く離れていてもその状況を絶えず気にかけることは、「星の王子様」に出て来る王子が大切にして来た花の場合によく似ています。私達もテレパシーを応用する先は、このようなことでありたいものです。


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