ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落323 [2010-08-27]

323 This experience was a case of unintentional telepathy. Certainly, the manager had no intention of broadcasting his dishonest thoughts; and undoubtedly believed them carefully guarded from the world. Because of his perfect assurance in the integrity of the man he had left in charge, the head of the firm, the person most closely concerned in the affair, was not receptive to the thoughts of mismanagement. But I, who was receptive to all thought vibrations in an impersonal way, received the thought. As it came to my mind, I recognized it was pertaining to my friend, and thereby saved him much future difficulty.

323 この体験は非意図的テレパシーの一例でした。確かにその支配人は自分の不誠実な意図を広めようとするような意志は全く無かった訳であり、疑いなくそれらを世間から注意深く隠していたものと思われます。その友人が会社の首脳として後に残したその人物の持つ有能さに完全な確信を持っていたため、そのことに最も高い関心を持っていたその人物は、その経営の失敗についての想念を受容出来なかったのです。しかし、非個人的になって全ての想念波動に受容的であった私は、その想念を受信しました。それが私の心に来た時、私はそれが私の友人に関係していることに気付き、そうして彼を将来のより大きな困難から救ったのです。





【解説】

数多くの印象が心に感知された場合でも、その人が自分に関係がないと判断すれば、それらをやり過ごす機構が備わっているという訳です。従って、問題は本人の関心次第ということで、如何に自分が抱く関心が大事かが分かります。自分が日頃、どのような事柄に関心を持っているのか、あるいは持つべきなのか、つまりは自分が知りたい、或いは助けたいと思うことは何かを改めて見つめ直す必要もあります。

この場合は、アダムスキー氏は友人の置かれている状況を察知して、何らかの関心を抱いていたのでしょう。そこにその人に関する印象(言葉になる前の意図)をキャッチし、その印象の全容を把握した訳です。

如何なる想念も隠すことは出来ません。印象はあらゆるものを貫いて進行する想念波で、誰でもそれをキャッチし、生活に応用出来るという訳です。音声や文字でなく、形のない印象は一見、捉え所のないものですが、その応用範囲と潜在能力は莫大なものがあります。


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