ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落314 [2010-08-12]

314 To understand how this can be accomplished, we must remember that feeling is the channel of perception. For regardless of how refined the organs of sight may become, they cannot possibly receive the image of anything that is not yet a concrete manifestation; yet, because the blueprint, or plan for all manifestation is drawn in advance, such information is obtainable. In the case of true clairvoyance, the personal ego must be controlled by an impartial interest in Cosmic Cause. The only limitation placed upon knowledge, is that put there by the personal, or particularized consciousness.

314 このことがどのようにして達成されるかを理解するには、私達はフィーリングが知覚の経路であることを思い出さなければなりません。何故なら、如何に純化しようとも、視覚は未だ確かな創造物となっていないもののイメージを受け取ることは出来ないからです。しかし、あらゆる創造の青写真或いは計画は先立って描かれていますので、これらの情報は入手可能なのです。真実の透視の場合、エゴは宇宙の因についての隔てのない非個人的なる関心によってコントロールされねばなりません。知識に置かれた唯一の制限は、その個人的或いは特殊化された意識によってそこに置かれた制限でしかありません。





【解説】

誰もが透視や未来の予知について能力を身に付けたいと思うことでしょう。その点に関して、本項では、これらテレパシー能力が既存の感覚からではなく、フィーリングの経路から来ることを明言しています。つまり、遠隔透視は視覚が行っているのではなく、フィーリングを通じて行われるという訳です。私達が日常的に依存している感覚ではない、印象を受ける経路を通じて、それらの情報を認識するということです。

しかし、これにも障害があります。私達自らが設置した限界というものがあり、それが自由なフィーリングの発揮を妨げているというものです。そうなると問題は、フィーリングの自由な発現に対して自分自身で置いた限界であり、そもそもどのような制限を置いて来たか、各自が実態を調べなければなりません。未踏の分野に入る際に、踏み込もうとする第一歩は勇気が必要ですが、ひとたびその障壁を越えれば、あとは実績が前進を後押しすることでしょう。


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