ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落309 [2010-08-05]

309 To accomplish this, however, we must learn to listen to the "small, still voice." This is a vital necessity in true telepathy. When a friend calls us on the telephone, for instance, we do not lift the receiver and rush into a monologue that lasts until the other party finally hangs up. We carry on an exchange of conversation. The same holds true when we are practicing telepathy. If we expect to advance, we must learn to listen-answer-then listen again, etc. And we will discover that the more we learn to listen, the more profound and impersonal will be the impressions coming through to us.

309 しかしながら、これを成し遂げるには、私達はその「小さく、ひそやかな声」に耳を傾けなければなりません。これは真のテレパシーにおいて決定的に必要なことです。例えばもし、友人から私達の所に電話が掛かって来たとしましょう。私達は受話器を取り上げて、相手が最後に受話器を置くまで、ぶっ続けの一人語りを慌ただしく行うことはありません。私達は会話の交換を続けます。それと同じことが私達がテレパシーを実践する際にも当てはまります。もし私達が進歩したいと思うなら、私達は聞く−答える−再び聞く等を行うことを学ばねばなりません。そして私達が如何に多く聞くことを学べば学ぶ程、私達にやって来る印象はより深遠で非個人的なものとなるでしょう。





【解説】

ここではテレパシーを電話による会話と同じだと解説しています。送り手から発せられた想念を受信するだけでなく、それに対する応答を相互に行うことによって互いに意思疎通を図ることが、テレパシーであるという訳です。遠隔地にいる者同士が互いの安否を確認したりする際、想念を通じて距離に関わらず行われるテレパシーは、まさにこのような相互交流であると言えるでしょう。

また、一方では宇宙の本源から来る、より精妙な印象についても本文で解説されています。微妙な印象に耳を傾けて聞こうとする態度は、自然の中で草木から印象を得ようと静かに目を凝らし耳を傾けて何かをキャッチしようとすることに似ています。自然の草木は互いに音声や身振りで表現することはなく、静かに生きていますが、それらの間には、清らかな印象が飛び交っているものと思います。その中に身を置くことで、このような印象に自身の身体を浸し、リフレッシュするのも山歩きの効用でしょう。また想念には送り主がいる訳ですから、その想念を感受することは送り主を理解することにもつながります。想念の内、最大の送り主(創造主)を想念(印象)を通じて理解しようとする姿勢が大切なのです。


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