308 Being the recipient is much more difficult than the conscious sending of impressions, because we have never been taught the necessary restraint to develop this facet of our lives. Since time immemorial, our four senses have quarreled and bickered amongst themselves; yet we have not been conscious of the unbalance this was causing within our being. We have worried and fretted over conditions we could not change; and we have unquestioningly accepted the concepts of gloom and doom because these strong vibrations impinge themselves on our bodies. But I believe it has been made apparent that with a measure of self-control, and a practical approach to life as it really exists throughout all manifestation, we can cast off these detrimental thought-habits and expand our consciousness to a clearer understanding of our rightful place in the Cosmic Plan.
308 意識して印象類を送信することよりも、受信者であることははるかに難しいものです。何故なら、私達はこれまで私達の生き方におけるこの側面を発達させる為に必要な抑制を教えられて来なかったからです。太古の昔から私達の4つの感覚は互いに言い争い、口論して来ました。それでも私達は、このことが私達の中にもたらしているアンバランスについて未だ意識していません。私達は私達が変えることの出来ない状況について心配し、思い悩んで来ました。また私達は憂鬱や非運の概念を疑い無く受け入れて来ました。何故なら、これらの強い振動はそれらを私達の肉体に衝突させて来るからです。しかし、私達は自己統制の手法とあらゆる創造を通じてのありのままに存在する生命への実践的なアプローチによって、私達はこれら有害な想念習慣を投げ捨て、私達の意識を宇宙英知の計画における正当な地位のより明確なる理解へと拡げることが出来るのです。
【解説】
多くの場合、私達は自分達の心が恐怖に支配されていることに気付いていません。日常的にはこれらの要素は顔を見せることなく、もう一方の問題である惰性の生活を行っており、何ら心配の要らない決まりきった時間を過ごしています。しかし、ひとたび旅行で見知らぬ土地に行ったり、未知の山歩き等、非日常的なことを行う途端、これら様々な問題が現れて来ます。
卑近な例で恐縮ですが、周囲にトイレが無い場所に行くと逆にトイレが近くなったり、独り誰もいない林の中を歩くと何か落ち着かなくなったり等、経験するところです。とかく私達は習慣的な生活を好み、未知の分野の経験を嫌う傾向がありますが、それは起るべき結果をよく知っているかどうかによっています。つまり習慣的行動は、その結果を良く予想出来る訳ですが、未知の分野については心は知識を持たず、不安感が先行するからです。
結局、私達は結果に依存している為、未来の結末が不明の為に恐怖する訳で、意識を通じて未来が多少なりとも把握出来れば、このような恐怖心は無くなるということでしょう。
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