ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落307 [2010-08-03]

307 I am assuming that by now you have seen the fallacy of tolerating thoughts of fear, worry, anger, anxiety, etc., and are viewing all things calmly; knowing that through this new balance in your life, you are truly about the Father's business. Therefore, your daily chores will no longer be a drudgery, and you can perform them with a composed, receptive mind. If you watch your mind carefully, you will find many of the real universal thoughts come while you are contentedly, physically occupied. This is what Jesus meant when He said, "Be ye therefore ready also; for the Son of man cometh at an hour when ye think not." Luke 12:40. He did not refer to His appearance in the physical body, but to a communion between the mind and universal knowledge.

307 私は今や貴方は恐れや心配、怒りや不安等の想念を寛容することが誤った考えであることが分かり、あらゆるものを静かに眺め、貴方の生活のこの新しい調和を通じて貴方は真に父の御わざに従事していることを知っていると確信しています。ですから、貴方の日常の雑事はもはやつまらぬ仕事ではなくなるでしょうし、貴方はそれらを落ち着いた受容的な心で行うことが出来ます。もし、貴方が貴方の心を注意深く観察するなら、貴方は数多くの真に宇宙的な想念が貴方が満ち足りて、肉体的にも手一杯の間にも貴方の所にやって来ることに気付くことでしょう。これがイエスが「あなた方も用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」(ルカ伝12章40節)と言った時、イエスが意味したものです。イエスは肉体としての自分(訳注:「人の子」)の出現のことを述べたのではなく、心と宇宙普遍の知識との間の交わりについて述べていたのです。





【解説】

これまで私達は、自分の心の中を自らコントロールすることの重要性について学ぶ機会はありませんでした。とかく重要だとされて来たのは、心の抱く想念ではなくて、それが具体的な行動として発現したものに対して、もしそれが優れたものであれば、社会的称讃が、他に迷惑を掛けたり害を及ぼしたりしたことに対しては、処罰が加えられます。

しかし、テレパシー学習で問題としなければならないのは、私達の心(エゴ)の一瞬一瞬の動きであることを本項では指摘しています。各自が各瞬間にどのような想念を抱く(即ち、取り入れ、自分のものとする)かは、全くの所、個人の自由なのですが、その結果は、また各々に振り返って来ることを述べているのです。

毎秒、どのような想念を心の中に入り込ませて良いのか、私達は厳格に監視することだとしていますが、これは従来の哲学や宗教にはあまり聞かない教えです。私達は、先ずは自分の心に不要なもの、私達の目指す人生に不必要なものは断じて取り入れてはいけないのです。また、日常生活を続けながらも、より良い想念のみに門戸を開いておれば、やがて遠からず創造主に源を発する想念も心を通過するかも知れません。その時は、イエスの言う宇宙の英知と一体となる瞬間も実現するものと思われます。

その為にも、「自分に厳しく」という意味は、実は「自分の心に厳しく」対応すべきだということなのです。


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