ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落305 [2010-07-29]

305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.

305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。





【解説】

テレパシーが電話と同じであるとする本項からは、自分が絶えず話し中(想念を発する状態)では本来、受信されるべき想念が受信される筈もないことはもちろんであり、受信可能状態に心を保って置くべきことは言うまでもありません。

また、電話と同じであるということになると、先ずは私達は電話の場合、受話器から聞こえて来る音声、即ち受信した印象を通じて、送り手を理解しようとすることに着目したいと思います。つまり、受話器を介して受信したメッセージ、あるいは互いの会話を通じて、相手や相手の状況を理解しようとするのが電話の機能と言うものだからです。

電話の場合は1対1の意思疎通ですが、これまでの学習から、想念伝達の場合は一対複数の関係にあるようですから、その点の違いを除けば、意義は近いことになると思われます。丁度、太陽が地上の何処にいる人々にとっても「私の太陽」と思われる程に日々の恵みを人々に送り続けていますが、私達は太陽の光を通じて、各々太陽のイメージを抱くように、想念もその内容と同時に、その送り主を理解しようとすることが重要ではないかと思う次第です。


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