ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落302 [2010-07-23]

302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.

302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。





【解説】

私自身は経験もありませんし、直接見聞きしたことはありませんが、声として本人に聞こえて来るような印象受信の例は聞いたことがあります。そういう意味では、より感受性が高まり、送信者の意思が明確に理解されるような段階になると、ぼうとした状態から雲が晴れるようにより具体的なメッセージ内容まで、自然と理解できることになるものと考えられます。

一見、奇異な現象のように見えますが、実際には送信者と受信者の間は印象(想念)波で伝わり、それを受信した者が半ば自動的に検波し、音声まで出力するラジオの機能までになっているということで、原理的には一般のテレパシーと何ら変わるものはないのです。

少し余談になりますが、夏川リミさんの「涙そうそう」という歌を御存知の方も多いかと思います。その歌が生まれた経緯を紹介する為の作詞した森山良子さんへのインタビュー番組を以前見たことがあります。彼女には最愛の兄が居たそうですが、その兄が若くして亡くなり、その面影慕って、宵の明星(金星)を眺めて涙するという歌詞には、一番星に願いを託した頃の思いでが綴られているとのことでした。

実は既に亡くなっており、詳しいことは聞かないままになってしまいましたが、私の死んだ母にも若くして亡くなった兄と弟がありました。戦中、戦後のことで十分な薬もないまま、病死した訳ですが、その兄は死の当日、「実に綺麗な風景を見た」「良かった良かった」と言ったそうです。当時、周囲は訳が分からないでいたとのことですが、自分の転生先を垣間見たものと今日になって、私は思っています。また、宵の明星に向いては話し掛けたものだと言うことも母から聞いたことがあります。それから何年か経って、苦労の中にあった母に、ふと兄が現れて(夢の中であったかどうかは不明確ですが)、母に向って「○○をやりなさい」と話し掛けたそうです。母はその助言に従って、以後長い間その分野の仕事に就いたということです。

多くは親子や兄妹の間の関係等、密接な間柄の場合には、直接、音声に転換出来る程、強いネットワークが出来るものと思われますし、夕空に輝く金星への思いには深い意味があるという一例かと思っています。


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