ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落301 [2010-07-22]

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"

301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。





【解説】

私自身、本項のような体験をしておりませんが、人によっては印象を送り手の話しかけとして聞くことがあるようです。また、その時、受信した者がそのまま受けた言葉を同時に声に出すことで、いわゆる神託を周囲の者に伝える構図も生じる訳です。

しかし、これらメッセージの多くは個人的なもので、送り手が受け手に伝えたい事柄であり、周囲の者に興味本位で伝えることは送り手の本意ではないと思われます。

さて、テレパシー学習を進める内に早晩、私達も本項のような体験をする、あるいはその実例を見聞することになるかも知れませんが、その際、注意したいのは、メッセージの内容であり、世の中には千差万別様々な波動要素が渦巻いており、どのような源泉から来るものなのか、十分に内容を見定める必要があります。例え自分自身が受信したものであっても、その内容が本来、私達が目指すべき方向に導くものなのか、あるいは脇道に誘い込むものか、慎重に判断し、不明な場合には良否を即断せず留保して、時間経過の中で選択の可否を判断すれば良いものと思う訳です。

いずれにせよ、やって来る印象があったら、それに対し丁寧な対応、時間を掛けた見極めを行うことになりそうです。


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