ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落296 [2010-07-14]

296 The human form, in a natural state of impersonal relaxation, is receptive to all vibrations. Of course, it must be freed from habit action, the sense-man must be controlled, and the ego, or intense concentration upon its basic vibrations, must be relaxed. Telepathy comes as an impression through the feeling channel; and when we control our reasoning mind (or the ego), we can receive impressions from all phases of manifestation: for we are a unit with them.

296 個人としての感情を持たないリラクゼーション状態にある人体は、全ての振動に対して受容的です。もちろん、それは習慣的行動からは解放されなければなりませんし、感覚人は統制され、また、エゴあるいはその基本振動への強烈なる集中は緩められなければなりません。テレパシーはフィーリングの経路を通じて一つの印象としてやって来ます。そして私達が論理する心(あるいはエゴ)を統制すれば、私達はあらゆる創造の側面からの印象を受信することが出来ます。





【解説】

ここでのポイントはreasoning mindではないかと思います。私自身、用いられているこの言葉の意味合いを正確に掴みきれてはいませんが、訳語としてはここでは「論理する心」としました。本文中ではこの「論理する心」をエゴとして説明しています。つまり、物事を論理的に考え抜くこと、推論することをreasoningと言っていることから、私達の心のこの傾向に対して注意している訳です。

もう少し詳しく述べてみましょう。ある印象が突然、飛び込んで来たとします。その際、私達の心は未だその正体がはっきりしない印象類に対し、とかく詮索好きで、あれこれ思い巡らしてしまい、その印象全体を受容するという態度をとれません。これが最初の課題であると言う訳です。

印象自体、その意味する全貌は最初は分からないものではないかと思っています。逆に言えば、初期段階では私達の感性が鈍い為、容易にはその内容を理解出来ないと言っても良いでしょう。しかし、その塊としての印象をとにかく受け取ってしまうことが大事なように思います。その上でこの印象が示唆する事柄を丁寧に学び取れば良いのです。つまり、その印象に対して心を謙虚にして次第に明らかになる事柄について、指示に従うということでしょう。

受容的な状態とは、やって来るインスピレーションを喜んで出迎えることに似ています。当初はどのような種類のお客さまかは分かりませんが、訪ねてくれたことに感謝し、心を落ち着けて対応する中で、いろいろな事が語られるように思っています。


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