ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落290 [2010-07-06]

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.

290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。





【解説】

これまで述べられて来たように想念は肉体細胞に大きな残留影響をもたらし、細胞はその振動を継続し続けることが分かりました。その結果、長年の思考習慣はその個人の性質(個性)を形づくり、最後は「石頭」と称せられる程の頑迷さを示すまでになる訳です。

もちろん、老子の言うように柔軟性を得なければならないことは言うまでもありません。しかし、その為には幅広い想念・印象に対して感受できる許容幅が必要だということでしょう。とりあえずは多くの本を読み、先人の歩みを学ぶ中でそれら貴重な想念に接することも出来る筈です。また、自然の中に出て、そこで生きる生物達の生きざまを学ぶことも大切です。

私達は各々自分の生き方をどのように設定するかは各自に委ねられています。楽観的な見方で生きようと、悲観的な目で人生の大半を過ごそうと、それはその人の自由ではあります。しかし、本人はとにかく、他人への影響としてどのような生き方が望ましいかは自ずと明らかな筈です。他の者の生きる上で参考となるような生き方です。

本文最後に述べられている「創造を疑問の念をもって観ている」のが悲観論者であるとしている点は大変重要です。私達は少なくても、宇宙の創造主を信じ、自らの肉体が与えられていることに感謝すれば、世の中、悲観論は誤りであることに気付く筈です。


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