ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落286 [2010-06-30]

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.

286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を自然の相関性の一連の流れ、即ち想念の連続性の中に放出することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。





【解説】

本項からリラックスとは自由な想念の流れが行われている状態を指すことが分かります。人体の各細胞が緊張することなく自由な状況にあれば、内外からの想念を感受、発信することが出来ます。つまりは体内を自由に想念が通過することが出来るようになり、その結果、様々な体験や知識、ヒラメキを受けることが出来ます。その結果、例え短い時間であっても、数多くの体験をすることで従来の時間と比べて長期間暮らしていたような気分になるという訳です。

そのような状態になる為には、本文最後にある「個人的な願望を自然の相関性の一連の流れに放出する」ことがポイントとして記述されています。ここで「個人的な願望」とは必ずしも「利己的」という悪い意味だけを指すのではありません。そもそも自分がこうしたいと思うこと、自分あるいは身近なものに関する願いは全て含まれます。その願いをいつまでも心に留め置くことなく、自然界の流れの中に委ねなさいと言っているのです。

つまりは願いを持ったら、それを早々に自然の中に放ってやがてそれらが結果をもたらすのを待つ姿勢です。しかし、放出するだけではダメで、本文がその後に続くように「あらゆるものに先入観の無い関心を抱くこと」が大切で、放出したら、後は全てお任せということではありません。その結果の再来も含め、あらゆるものに関心を保つことで来るべき印象、自らの願いの回答が寄せられる場合も見逃さないようにする必要がある。本項はこうした内容を読者に示唆しているものと思われます。


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