ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落281 [2010-06-23]

281 To some people, this may seem a very haphazard way of experiencing life. For has not the human ego, through hundreds of thousands of years, been trained to the idea of accomplishment by aggression and personal effort? Yet, there are the fortunate few who have discovered the universal way of life. Such persons include not only the seers and the philosophers (who, we pointed out earlier, understood that mastery of the body was essential), but those in all walks of life. Thomas Edison, one of the great scientists of our times, once remarked, "I have found that the answer to some of my most perplexing problems come to me after I have ceased trying to solve them." In other words, the thoughts started to flow freely when his interest was impersonal; when his intense concentration had been released.

281 人々によっては、これは人生を経験する上で行き当たりばったりのように思えるかも知れません。何故なら、人間のエゴは何十万年もの間、攻撃と個人的な努力による物事の達成という概念で訓練されて来たのではなかったでしょうか?それでも宇宙普遍の生き方を発見できた幸運な人達もいます。これらの人達の中には先見者や哲学者(彼らは古くから肉体の支配が不可欠であることを指摘し理解していました)ばかりでなく、あらゆる人生の歩みの中におりました。今日の偉大な科学者であるトーマス・エジソンはかつて、こう述べました。「私のいくつか悩んでいた問題の回答は、私がそれを解決したいとする努力を止めた後にやって来ました。」言い換えれば、彼の関心が非個人的になった時、即ち彼の強烈なる集中が開放された時に想念が自由に流れはじめたということです。





【解説】

ここで言う「肉体の支配」とは自らの精神状態を含めて、自分をコントロールすることを意味し、とりわけ心の有り様を自ら制御することを意味していると考えます。つまりは、従来、自我(エゴ)の力任せの努力や健闘というものが目標達成には不可欠だとされて来ましたが、それでは自らの願望によって肉体細胞が緊張し、恵み多い宇宙からのインスピレーションに触れることは出来ません。如何にして英知から降り注がれている印象に接することが出来るよう、心身の状態を整えるかが重要となる訳です。

日本の神社では身を清め、心を鎮めて、いわば印象感受の前準備を整えた後、社殿に上がり、神託を受ける等、一連の作法を行うようですが、その根本思想は本項で言う想念が自由に流れる状態を自ら作った上で神に向き合うことを意味しているように思います。

また、自ら懸案に努力することは必要ではありますが、自分の努力だけで問題を解決することは出来ません。努力の中でもひたすら気分をゆるやかにしてこだわりのない生き方を貫くのが本来の生き方であろうと考えています。その場合、自分の努力と自らの精神状態のどちらを優先すべきかについては、本項を学んだ結果から、自分の精神状態こそが最優先の課題であることが分かります。


第3部 2章 段落280 [2010-06-22] <<  |  >> 第3部 2章 段落282 [2010-06-24]