ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落280 [2010-06-22]

280 It is not easy to hold one's self always in a state of receptivity, because it demands a perfectly balanced consciousness. It is not a simple task to keep the body in a state of relaxation and still maintain a positive interest in all action around, and within us. Yet, this state is necessary to a good recipient. We must learn to look upon our mental reactions as though we were an impersonal bystander, and our thoughts were nothing more than actions taking place upon a stage.

280 自我を感受性のある状態に保つことは容易ではありません。完全なる調和した意識が必要だからです。肉体をリラクゼーションの状態に保ち、しかも周囲や自らの内面のあらゆる活動に対して積極的な関心を維持することは容易な任務ではないのです。しかし、良い感受者にはこの状態は無くてはならないものです。私達はあたかも自分が個人的に関係がない傍観者であるかのように、私達の精神的な反応を観ること、また、私達の想念がステージで起っている演技でしかないかのように観ることを学ばなければなりません。





【解説】

想念観察については、様々な所でその有効性について説かれて来ましたが、その基礎となる自らの「立ち位置」について説明しているのが、本項です。つまりは、あらゆる場面において、あたかも自分(エゴ)がどのような想念を発し、対象物に接しているかを、もう一人の自分(意識)が観察するという構図です。

よくチベット仏教の僧院に目が描かれている話を聞きますが、自分(エゴ)の行動を絶えず観察する訓練が重要だということでしょう。私達のエゴを訓練するのは容易なことではなく、絶えず両親(意識)の庇護の下、見守っている必要があります。こうすることで本項のテーマである心のバランスを保ちながら、感受性を持たせることが出来るとしています。

また一方、日常生活における実用面としては、例えどのような困難な状況に逢おうとも、その状況に支配されることなく、冷静に余裕を持って状勢判断をする為に、自らをその場の舞台俳優と見なし、演じる中で、自分を外から観察する余裕と客観性を持つと良いことをも示唆しています。


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