ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落267 [2010-06-03]

CHAPTER U Relaxation, Interest and Receptivity



267 We have been taught that intense concentration is the only means by which anything can be accomplished in this world. We are told that the happy-go-lucky individual never becomes an outstanding figure in any line of endeavor; so we should at all times keep our shoulder to the wheel, our eyes on the ball, and our nose to the grindstone (a most uncomfortable position). But here again, we will find that we have been unwisely informed.



第2章 リラクゼーション、関心及び感受性



267 私達はこれまで強烈な集中が、この世の中で何かが成し遂げられる為の唯一の方法であると教えられて来ました。私達は楽天的人間は決して如何なる努力の分野でも秀でた人物になることはないと教えられて来ました。ですから私達は常に車輪に肩を付け、ボールに目を置き、砥石に鼻先をつけ(最も不快な姿勢を)続けるべきとされて来ました。しかし、ここで再び私達は愚かなる情報を与えられ続けていることが分かるでしょう。





【解説】

言わば願望を通す為、精神を集中することで強い想念を出し、我武者らになって努力することで物事を達成できるとしたいわゆる頑張りが不可欠だと、私達は長い間、教えられて来ました。しかし、本項はそれらの頑張りには誤解があることを諭しています。即ち、これら精神集中では肉体細胞が疲弊するだけで、感受性は低くなることが前項までに学習で分かります。

一方、本項では楽観的な精神状態が良い結果をもたらす事実を示唆しています。その詳しい理由は本項以降で述べられる筈ですが、一つだけ言えることは、肉体細胞を本来の自由な状況に保てなければ、早晩、病気に陥る危険性も出ることが挙げられます。

古来より、「他力本願」「野のユリ」「陽気暮らし」等、自らの力ではなく宇宙につながる壮大な法則に委ねること、自然と一体になることで、自分自身も含めて物事を本来の姿に戻すことの重要性が繰り返し述べられて来ました。多くの宗教の教祖はこうした宇宙を貫く力の存在を確信しています。その関心の下に各自の自我を抑制し、自由で宇宙的な生活を送ることが大事であるという訳です。努力はもっぱら自我(エゴ)の縮小と自ら発する想念の監視に使い、他の全ては宇宙の法則に任せることが秘訣のように思われます。


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