ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落262 [2010-05-27]

262 As I have said, all manner of vibrations are constantly beating upon the cell portals of our bodies. Inasmuch as every cell is a conscious entity, the mass as a whole is perfectly capable of intercepting any one of these vibrations. When the cell-minds do not receive them, it is because they have become too interested in the central ego of the form. This means that they have concentrated their actions about the ego to such an extent that they are not aware of the existing outer force.

262 これまで述べましたようにあらゆる形態の振動が常に私達の肉体の正面入口部分の細胞を叩いています。一つ一つの細胞は意識を持つ存在でありますので、全体の質量としての塊は、これら振動の如何なるものも捉える能力があります。細胞の心がそれらを受信出来ない場合は、それらが形あるものの中心のエゴに対し、あまりにも強い関心を持っている為です。このことはそれがエゴに自分達の行動をそれ程に集中化させて来た為に、それらが外部の力の存在に気付かなくなっていることを意味します。





【解説】

これまで私達はエゴにあまりに忠誠を尽くして来たということです。全てはエゴの世話をする為であり、そのエゴは常に不安げな殿様であった訳です。しかし、本講座で再三出ているように、私達は私達の肉体の中心にばかり目を奪われていないで、もっと大宇宙からもたらされる印象に気付く必要があることを先ずは自覚する必要があります。

宇宙からもたらされる印象の中には、もちろん低次元のものもあるでしょが、私達の進歩に役立つものも多い筈です。この宇宙からの情報は物理学上は地球に降り注ぐ宇宙線と同じものを示していると思われます。実態についてはよく知りませんが、ラジオの雑音のように無数の粒子が地球に降り注いでいることは、皆様のご存知の通りです。

よく年を取ると感覚が鈍くなると指摘される所ですが、私達は進化した宇宙人達から見ると何と無感覚で無感動な人達だろうと嘆かれる存在なのかも知れません。エゴへの集中を仏教では「執着」等の表現で表わしたとすれば、このエゴへの集中問題は、古来から繰り返し説かれているテーマであることが分かります。


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