ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落252 [2010-05-11]

252 Telepathy is an expression of the Law; which is as ageless as the Cosmos. If man hopes to use it with understanding, he must recognize how imperative it is for him to practice self-discipline. As long as he allows dissension to continue within himself, his receptivity will be confined to the level upon which his mind works. The Laws of the Cosmos are immutable, and in time man will awaken to his potential; for the only limitations placed upon man, are those his unawareness imposes.

252 テレパシーは偉大なる法則の内の一つの現れであり、それは大宇宙と同様、永遠に不老です。もし人がテレパシーを理解して用いたいと望むなら、自身にとって自己訓練を実践することが如何に必須なことであるかを認識しなければなりません。その者が自身の内側で意見の不一致を許す限り、その者の感受性は心が働くレベルに限定されるのです。大宇宙の諸法則は不変であり、やがては人は自身の潜在能力に目覚めることでしょう。何故なら、人の上に置かれた唯一の限界は自身の無知が押し付けたものだからです。





【解説】

結局、問題は各自の心の有り様ということに帰着します。環境その他の条件は大きな問題ではなく、各自の心を訓練することが唯一の方策であるということです。また、本文中に「自身の内側の意見の不一致(dissension)」が問題とされていますが、これは「迷い」や「葛藤」も含めて、心が一つの誠実な一体物になっていない状況を意味しています。

最近見た映画に「禅ZEN」(DVD)という作品があります。道元の生涯を描いた映画です。私自身、「禅」についての知識はありませんが、ひたすら座禅により、心を正しく落ち着かせようとする修業の中には、本項で言う自身の内側の不一致を修め、自己訓練を実践する一つの形があるように思えます。この作品が感動的なのは、道元がやがて入滅の時を迎える時です。死期を迎える中にあっても道元は最後の力を振り絞って弟子達が参禅する修業堂に入り、その座禅のまま、息を引き取る場面です。教師たる者、そこまで弟子達に自らの信じる姿を見せることで、はじめて時代を越えて受け継がれるものが生まれるということでしょう。このテレパシーの奥義を伝える場合も同様な心構えが必要だと言うことではないでしょうか。


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