ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落250 [2010-05-07]

250 We would do well to ponder this ancient requirement, and incorporate a little of it into our lives today. Most of us are so busy imposing our opinions upon others, that we really do not listen to what they have to say. While others are presenting their side of the subject, our minds are so busy marshalling our own arguments to prove them wrong, that we do not hear more than a fraction of what is being said.

250 私達は古代のこの要件についてじっくり考え、今日の私達の生活にその少しを組み入れた方が良いでしょう。私達のほとんどは他の者達への自分達の意見を押し付けることに躍起になっており、私達は実際には他の者達が何を言おうとしているのかに耳を傾けてはいません。他の者達が課題に対する自分達の側面を提示している間に、私達の心はそれらの提示が誤りであることを示すべく、自分達の議論を組織立てており、私達は話されている事柄の一部しか聞いていないのです。





【解説】

いわゆるディベートと称せられる討論等はこの典型です。現代の私達には相手を言い負かすことに汲々とする風潮があります。相手の優位に立ち、他人を支配しようとする動きはエゴの増長でしかありません。

その点、植物は違います。終始無言の生涯を送っています。また音声を発しない動物も多いものです。しかし、彼らは何ら支障なく生活を送っており、印象への感受性も高いものと思われます。この連休中、実家の雑草取りをしましたが、わずか1〜2ヶ月で背丈が50cm、茎の径は2cm以上にも伸びる野草があることに驚きました。彼らは他の草よりもいち早く成長を遂げ、光を享受することで繁栄がもたらされることを知っているのです。また、その野草の下には様々な昆虫達が住処を構えていました。野草が日影と湿気を作り、虫達に快適な環境をもたらしていました。これら全ては無言で互いに何の議論もなく行われたことは明らかです。自然界はこのようにほとんどのことが無言で進行しています。もちろん、私達の肉体各部も余程のことが無い限り、神経を通じて騒ぎ出すこともありません。


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