ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 3章 段落193 [2010-02-01]

193 Remember, we have shown earlier that thought can become a habit. We can develop thought-patterns of selfishness, discontent and greed; or we can cultivate thought-habits of humility, serenity and generosity. The choice is ours. And if a true analysis were to be made, we would find our lives are governed less by circumstances than by our thought habits.

193 私が以前、想念は習慣になり得ると説明したことを思い出して下さい。私達は自己中心や不満、そして貪欲の思考パターンを発達させることも出来ますが、一方では謙遜や落ち着き、寛容の思考パターンを育むことも出来ます。選択は私達の自由です。そしてもし、本当の分析がなされるなら、私達が自分達の生活が周囲の環境より自分達の思考習慣に多く支配されていることに気付くことでしょう。





【解説】

何事も習慣化するということです。とりわけ重要なのは、物事の実現力を備える想念が習慣化する場合、本人が自覚しないまま、その想念パターンが継続作用し、結果を早めることになることです。いずれにせよ、習慣や惰性は新鮮さを失わせる為、良くありません。毎朝、鳥達は夜明けを待ってさえずりますが、そこには毎回、新しい経験を迎える楽しい気分があり、マンネリの気配はありません。率直に毎日の日の出を祝う気持がそこに表れています。

かつてイエスは「幼子のようにならなければ天国に入れない」とも言っていますが、何事にも物めずらしく、素直に直視する気持は、この想念の習慣化の対極をなすものです。人は年を重ねるにつれて、習慣化する部分が増え、感動も薄れる結果、時の経つのが早く感じられるようになるものです。それほどに感受する想念の数が減ってしまう訳です。何ら感度のない日常は習慣化した生活の現れであり、これに対しては常に新鮮な感動を日常生活に呼び覚ます必要があります。


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