ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 2章 段落181 [2010-01-14]

181 Upon her recovery she again took over the household duties. However, with her new outlook on life, a feeling of ease now prevails in the home. Where once guests were made uncomfortable by her eyes darting anxiously around the room, checking to see whether a cushion was out of place, a curtain not hanging straight, or an ash tray needing emptying, they now find a charming, composed, hostess, Where once she would have dashed for a cloth at the first sign of a thin film on the recently dusted furniture, she now laughs and says: "If you can write your name on the piano, it proves you're educated."

181 回復後、彼女は家事の仕事を引継ぎました。しかし、生活に対する彼女の新しい展望から、安らぎのフィーリングが今やその家庭を覆っています。かつては部屋の周囲に神経質そうに睨んでクッションが所定の場所から離れていないか、カーテンが真直ぐに吊り下げられていないか、或いは灰皿が一杯になって代える必要があるかをチェックする彼女の眼差しによって客達が不快にさせられていた場所で、今度は魅力的で落ち着いた女主人を見い出します。彼女がホコリを払ったばかりの家具についたホコリの薄膜の最初の兆候に対して、かつては布切れを取りに走ったのが、今度は彼女は笑ってこう言います。「もし、このピアノの上にご自分の名前を書ければ、教育を受けていることの証しですわ。」





【解説】

しばし日常から離れて自分自身や自らの生活を振り返ることは大切です。この場合は病に至った後の入院でしたが、これが旅行であったら、はるかに良い事例と言えるでしょう。とかく私達は習慣に支配され、夢遊病者のように何らの考えもなく、毎日を送りがちです。その日常を断ち切ってこれまでの自分を見つめ直す機会を積極的に作って見ることは、意外な程、価値があるように思われます。その為に、本例のような入院や旅行等、何か特別なことをすべきという訳ではありません。要は習慣に縛られない自分であるよう、心を常に自由にしておくことです。

本事例の場合、主人公は自分が維持すべき家庭を物理的な環境としてのみ見て来てしまった為、そこに暮らす家族が感じる窮屈さには気付いていませんでした。それが入院を契機に違った角度で自分の生き方を見つめ直すことが出来た訳です。病もそういったきっかけを与えて呉れるチャンスと捉えれば、大いに意義あるものとなり、感謝すべきものに変えることも出来ます。チャンスを生かすかどうかは常に私達の受取り方に掛かっている訳です。


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