ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 2章 段落163 [2009-12-10]

163 Atoms are endowed with alertness or awareness, and through feeling, can impress their messages upon man's mind. For instance, we may be strolling down a lonely road, or hurrying along a busy street; the mind occupied with its own thoughts when, through feeling, we become aware of someone staring at us. As yet the eyes have not seen this person, nor was the preoccupied mind aware of his presence until feeling alerted the brain. It was the cells of our body, responding to the directed thought from the other person, that alerted our mind to his fixed attention upon us. This same alertness can be awakened in us by the gaze of any living form.

163 原子達には警戒即ち、知覚力が授けられていますし、フィーリングを通じて自らの伝言を人間の心に印象付けることが出来ます。例えば、私達が人気(ひとけ)のない道を歩いている、あるいは賑やかな街路を急いでいるとします。心はそれ自体の想念によって占められていますが、フィーリングを通じて誰かが自分達を見詰めていることに気付きます。目はこの人物を見ていませんし、印象が頭脳に警告するまで、その存在に気付きませんでした。私達の心にその人物から私達へ動かない注目について警告したのは、その者から放射された想念に呼応した私達の肉体の細胞なのです。これと同じ警報は他の生き物の凝視によっても私達に知覚され得るのです。





【解説】

これまで「印象を受ける」と漠然と表現されて来ましたが、本項ではそれが自身の身体を構成する細胞やその先の原子群が感知した結果を、脳に伝達することによって生じることが説明されています。つまりは全身で感じるということです。既存の四つの感覚器官以上に全身の各細胞各原子がもたらす情報を謙虚に受け入れることが大切だということ、まさに全身全霊の体制が必要だということです。

これら細胞が他の存在の動向や意思を感じ取る能力は、夜行性の野生動物において優れているものと思われます。真っ暗な中で、相手の動向を探り、安全を確保する為には、こうした目や耳に頼らない感受性が必要なのです。

一方、私達は普段から、既存の感覚器官に頼り切っている為、暗黒の世界や物音一つしない静寂の世界を恐れがちですが、既存の感覚器官を超える範囲にも感受力を伸ばす為には、自らの肉体細胞も既存の感覚器官と同等なネットワークに加えることが必要だということです。


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