160 The Living Soul, given to man when the Creator breathed the breath of Life into his nostrils, does carry the True Book of Remembrance; but few who have lived, or are now living on earth, have as yet evolved in understanding to the place where they may read. True, on rare occasions we may be given a glimpse of a word here and there, and with understanding can interpret these correctly. But since most Earthlings have not yet learned sufficient control over the sense-mind, more than a brief glance cannot be vouchsafed them.
160 創造主が人の鼻の孔の中に生命の息を吹き込んだ時、人に与えられた生ける魂こそが真実の記憶の書を運んでいます。しかし、地球にこれまで生きて来た、あるいは現在生きている者で、その者達がそれを読み取る場所まで理解力を発展させた者は極くわずかです。真実の所は私達はまれにそこここで記載されている言葉の一瞥を与えられ、理解力により、これらを正しく解釈することが出来るかも知れません。しかし、ほとんどの地球人が感覚心に対する十分な支配を学び取っていない為に、わずかの一瞥以上のことを与えられることはないのです。
【解説】
最も大事なものは何かということになると、それは各自の記憶ではないかと思います。各々の人生は毎回、限りあるものということになりますが、その中でそもそも「私とは何者か、何処から来て、今日ここに居るのはどのような目的があるか」を私達は知りたいと思っています。
本項では、私達が創造主から与えられた生ける魂の中に全てが記憶されると述べられており、自らの中に既に莫大な記憶が収蔵されていると言っているのです。そしてその解決策として感覚心を抑制することを条件として挙げていることが分かります。即ち、感覚心を制御すれば自ずと自然に記憶が開示される状況になると述べている訳です。
後年、アダムスキー氏は「生命の科学」を一課ずつの通信教育として執筆しています。その中で私達が日常、振り回されている感覚心とはどのようなものかを繰り返し述べられています。古来より、様々な導師が地球に現れ、語った事柄も同様なものであったことが推定されます。最も重要な自分自身を理解する為にも、各自の内部にある記憶の本源に近づく努力が必要です。
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