ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 4章 段落125 [2009-10-15]

125 Let us say we are going about our daily routine, our minds quietly following their customary pattern of thought. From out of the "blue" will come a thought totally foreign to our normal thinking-something of a universal nature. The majority of people, not comprehending the magnitude of what is happening, will often break the flow with the startled inquiry, "Where did that come from?" Whereas, if they had quieted their carnal mind and listened to the small still voice within, vast vistas of understanding might have been unfolded.

125 例えば、私達が日常の決まりきった仕事に出掛けるとします。私達の心は黙って、いつもの習慣的な想念パターンに従っています。突然青空から降って湧いたように、私達の通常の考えとは全く異質な想念、宇宙的な性質を持つ何かがやって来ます。大多数の人々はその時、起っていることの重大性に気付かず、しばしばびっくりして「それは何処から来たのだろうか」と問いただしてしまうことで、その流れを壊してしまうのです。しかし一方、もし人々が自身の肉欲の心を静めて、ひそかな内部の声を聞こうとすれば、広大な理解の展望が解き明かされたかも知れないのです。





【解説】

いわゆるインスピレーションがやって来た時の対応のあり方を述べています。実はインスピレーションなるものは通常、大変微細なもので、余程気を付けて対応しないと逃してしまい、元に戻れません。それをどう対処するのかについて本項ではヒントを与えています。

これまで、「想念の通り道」になることを何度か述べて来ました。まして、その想念を元に行動に移すとなると、浮んだ想念自体に怪訝な感情を抱いては、それ以降の流れが止まってしまいます。良否の判断を先送りして、行動に移した後、結果からそのアイデアの価値を知ることになるのが、通常の例かと思います。一つ一つのアイデアの出所を詮索していたのでは、行動に移すことも出来ません。

画家や音楽家が作品作りや演奏に熱中するような、想念の流れに無抵抗の状況を作り上げることが大切だと考えています。もちろん、どのような想念でも受け入れるという姿勢には問題もあるのですが、少なくても日常的に受け入れたい想念を良質なものとするよう受け入れたい方向性を堅持して置くことで、低俗な想念を避けることは出来そうに思います。

文字通り、無我の心境を維持し、各自の騒ぐ心を鎮めて、やって来る微妙な指示に何時でも同調できる素直な状態を保つことが必要です。


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