ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落082 [2009-08-07]

082 This same dissention exists in the relationship of the other two senses. The palate may savor the delicious flavor of certain rare cheeses; but in many cases, the nose is so outraged by the accompanying aroma that it interferes with the enjoyment of eating the delicacy. So it is very apparent that in their dealings with each other, the four senses are constantly bickering, contradicting, and trying to gain autonomy over the others.

082 これと同じ論争は他の2つの感覚の関係においても存在します。舌はある珍しいチーズの美味しい風味を味わうかも知れませんが、多くの場合、鼻はそれに伴う香りに憤慨し、その美味を賞味する歓びを妨げます。ですから互いの関係において四つの感覚は他に対して常に言い争い、反駁し、自律性を得ようとしていることはとても明らかなのです。





【解説】

本項を読んで思い浮ぶのは、よくある仏像の構図です。片足で小さな邪鬼を押し付ける毘沙門天等の四天王像がそれです。像を良く見ると足で押さえ付けられている邪鬼はやんちゃでわがままな子鬼を表わしており、実は根っからの悪者ではないように見えます。確かに押さえ付けている四天王の方は厳しい表情をしていますが、その姿勢は鬼を殺そうとしている訳ではなく、あばれ回らないよう押さえ付けているにすぎません。

人間の課題はまずはこの各自の4つの感覚を、より静かで落ち着いたものにすることです。その為には、時に厳しく自らを律することも必要なのです。その邪鬼達もやがて自らの真の役割を教えられ、主人に従うようになれば、もっと優れた才能を発揮するようになるでしょう。絵画や音楽、料理等、感覚本来の才能を発揮できる分野も多いからです。


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