ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落075 [2009-07-27]

075 Once I understood this, I knew that this force, born of Cosmic Intelligence, is the foundation of all life. Nothing need be added; all is present. But I, as a physical man, must recognize and begin to use this all-inclusive power. At this point, I took a closer look at my mind. To my surprise, I found it badly equipped and behaving like a tyrant ! I saw it was merely the spokesman for the sense reactions; not the Knower of Cause.

075 一度このことを理解するや、私には宇宙的英知から生まれたこの力が全ての生命の土台であることが分かりました。何も加えられる必要がなく、全てがそこに在るのです。しかし、肉体の人間としての私はこの全てを包括する力を認識し、応用し始めなければならないのです。この時点で、私は自らの心を注意深く見詰めました。その結果、驚いたことに、私は心がひどく身構えて暴君のように振る舞っていることに気付いたのです。私にはそれが因を知るものの代弁者ではなく、感覚反応の代弁者となっているに過ぎないことが分かりました。





【解説】

本来は自らの中に備わっている全ての要素を持つ一大生命力に気付き、応用すべき立場にあるにも拘わらず、私達の心は自らの感覚の代弁者に留まっていると言っています。心は自分自身の中にある因なる生命力よりも、肉体を過剰に守り差別を繰り返す感覚反応の方に引寄せられるということです。常に結論を急ぐ心は微妙な印象の世界よりは、テキパキと判断を下す感覚に従う方を望みがちということです。

しかし、感覚の判断は通常、低俗なものですし、それら表層の世界だけに生きていては本来の生命の息づく世界を見ることはできません。通常の感覚の範囲を超えた深淵な世界に私達も気付く必要があります。その世界や音や光を超えた印象の世界であろうと考えます。同じ風景、同じ対象物と相対していても、相手が生きていると実感するのは互いに印象レベルで交流が始まったことを意味します。

同様に、自分自身の身体に対して私達はどれ程の関心と敬意を持っているでしょうか。これから訓練すべき自分の心の反応、毎日の肉体の中で行われている生命の維持活動等、全ての側面で最高の教材が私達自身であることは間違いありません。


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