ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落063 [2009-07-09]

063 Let us now deprive man of one of his four senses, such as sight. Does this affect the life force in the body? Not at all! We can go further and deprive him of two, three, or even all four; yet he will still be a conscious, living being. Though the actual organs of sense are not functioning, he is conscious of knowing joy or sorrow, peace or pain, and he is able to receive mental impressions and visualize them perfectly.

063 では人からその4つの感覚の内の一つ、例えば視覚を取り去って見ましょう。これは肉体内にある生命力に影響を与えるでしょうか? 全く有りません。次に進んでその者から二つ、三つそして四つ全部を取り去ることも出来ますが、それでもその者は意識ある生きた存在であり続けることでしょう。実際の諸感覚器官は機能していないにも拘わらず、その者は喜びや平安、或いは苦痛を知る意識を有していますし、心的印象を感受し、それらを完全に映像化することが出来ます。





【解説】

私達は日常的には、外界との対応にもっぱら視覚、聴覚、味覚、そして嗅覚の四感を使っていますが、それらが仮に無くなっても私達自身の生命体は引き続き生きて行くことが出来ます。確かに失明したら、或いは中途失聴者になったら、その後の生活が大変不便なものになることは間違いありません。しかし、呼吸をはじめ、食物の消化吸収及び排泄等、身体維持に関する重要な部分は、元々これら感覚や自我の意志とは離れた所で行われているのです。各細胞は真っ暗な場所で、音にはよらずに相互に意志疎通を行っているのです。

こう考えると、これら4つの感覚は人間の表層を取扱っているに過ぎないことが分かりますし、私達はこれら表層の感覚を観察して、誤った反応、勝手な意見をチェックする必要があります。表層の結果に一喜一憂するのではなく、物事の本質、深層にこそ関心を向けなければなりません。そこに第5の基本的感覚であるフィーリングの役割が現れて来るものと思われます。


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