ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落062 [2009-07-07]

062 But what of the so-called fifth sense? If we deprive man of feeling, as we have done with sight, hearing, taste and smell, what is the immediate result? He lapses into unconsciousness, and will remain in that state until feeling is restored. While he is in this state, the organs of sense are still in the body and in perfect condition. The eyes, nose, palate and ears are uninjured, yet they do not see, smell, taste, or hear. And if feeling is complete]y withdrawn from the body, that person dies. Therefore, it is quite apparent that each of the four senses is dependent upon feeling for its existence.

062 しかし、いわゆる第5番目の感覚とは何でしょう? もし、人間から私達が視覚や聴覚、味覚や嗅覚について行ったように、フィーリングを取り除いたら、どのようなことが直ちに結果となって現れるでしょうか? その人は無意識の状態に陥り、フィーリングが回復されない限りはその状態に留まるだろうということです。その人はこの状態にある間、それら感覚器官は肉体内にあり、完全な状態にあります。両目は鼻、舌や両耳は損傷を受けていませんが、それらは見たり、匂いを嗅いだり、味わったり、聞いたりしないのです。そしてフィーリングが肉体から完全に取り去られるなら、その人物は死にます。ですから、この4つの感覚各々はその存続をフィーリングに依存していることは、まったく明らかなのです。





【解説】

そもそもフィーリングとは私達にとってどのようなものと言うことが出来るでしょうか。他の4感と同様な表現をすれば、振動や圧力、熱や痛み、かゆみ等を感じる機能がとりあえずの作用と言えます。ここで注目したいのは、これらの受容器は他の4感のように特定の部位に存在するということはなく、全身にわたって広く分布していることです。つまり、肉体全域についてこの感覚は警戒するネットワークが出来ていることになります。また、「痛い」「熱い」等、身体の安全に関わる事態にはそれ相応の警告を出しますが、これらの反応自体にはほとんどの場合、好き嫌いの反応は起らないことも特徴として挙げられます。

このようにフィーリングを全身にくまなく行き渡る神経のネットワークとすれば、私達はそのネットワークを通じて自分自身の各部位の状況を常時監視し、その部位とのコミュニケーションも出来るというものです。そういう意味から更に発展させれば、フィーリングが本来の精神感応という意味で離れた相手とそのネットワークが繋がる機能を併せ持つことも類推できます。またこのネットワークを通じて自分の意識を自由に移動させ、離れた地点の状況を観ることも可能であるように思えます。


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