ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落061 [2009-07-06]

CHAPTER V

Feeling - The Cardinal Sense

061 According to popular belief we possess five senses sight, hearing, taste, smell and feeling; each of which, we know, has the ability to act independently of the others. We can see objects without using the senses of hearing, taste or smell. We do not need hearing, sight or smell to decern sweet from sour. Our olfactory organs work admirably without the help of ears, eyes, or palate; and sounds can be received through the auditory canal exclusive of the other three senses. This all goes to prove that the four senses work independently of each other.

第3章

フィーリング − 基本的な感覚

061 一般に信じられていることに従えば、私達は5つの感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そしてフィーリングを持っていますが、それら感覚の一つ一つは私達が知っているように他の感覚とは独立して働く能力を有しています。私達は聴覚や味覚、嗅覚を用いずに対象物を見ることができます。すっぱいものの中から甘いものを識別するのに聴覚や視覚あるいは嗅覚を必要とはしません。私達の嗅覚器官は耳や目、舌の手助け無しに見事に作用しますし、音響は他の3つの感覚を排除したまま聴覚の内耳導管を通じて感受されることが出来ます。これら全ては4つの感覚は互いに独立して働いていることを示しています。



【解説】

ここでは日本語訳の問題として、本文中にある「feeling」について確認して置きましょう。元来、通常の人間の五感という意味からは、feelingの日本語訳としては「触覚」と訳すべきものです。確かに何物かと触れた場合や痛みやかゆみを感じる等は触覚の機能ということになります。

しかし、本書においてはfeelingには「感じる」というような精神面に拡大した感覚の意味合いも多く含まれており、訳語として「触覚」とすべきかどうかは迷う所です。本書においては訳語によるイメージの誤解を最小限にする為、敢えて「フィーリング」とカタカナ表記にしてあります。なお、今後出て来る本文(065)にも触感とフィーリングの違いについても言及されているところです。

さて、各自の中でこれら各々の感覚は他とは独立して反応していることは、互いの立場等の関連性を見ようとすることとは正反対であり、家庭の中にあっても各自が勝手に意見を主張し合う場合と似ています。家の主人である私達がどのようにしてこれらを調整して行くかは、まさに修身斉家治国平天下の最初の段階と言えるのです。


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