ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落041 [2009-06-08]

041 (In my references to the animate and inanimate phases of manifestation, I am using the words as we understand them. In reality, these divisions do not exist; for all expressions of life are active. )

041 (私の前述の創造における生物と無生物の各状態に関連して申し上げれば、私はそれらの言葉を私達が理解している通りの意味合いで用いております。しかし、実際にはこれらの区別は存在しません。何故なら全ての生命の表現は活動的であるからです。)





【解説】

もちろん、生物・無生物の区別は私達は日常行っているところです。しかし、自然界には無生物であっても本項で記述されているように活発に活動しているものが多いのです。その代表例が雲の動きです。青空を背景にくっきりした形を作る積乱雲は見る間に形を変えますし、まるで生きているようです。また、私達の日常生活は天道を動く太陽に依存していることも事実です。

このように無生物であっても動くものも多いのですが、分子・原子等のミクロの目で見ると、外見上、静止しているように見える鉱物でも、その内部は原子核を中心として広大な空間の中を電子の雲が取り囲み、その雲の中を猛烈なスピードで電子がスピンしていることが分っています。

万物は流転すると直感した人物には、長い時間のスパンを見つめる視点とともに、そのミクロの部分、本質的な所にこうした活発に活動する世界があることを感じ取っていたのかも知れません。そう考えると、もはや生物・無生物の区別は無く、皆同じ場に生きていることが実感できるようになります。


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