ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落033 [2009-05-27]

033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense! He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.

033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。





【解説】

そもそも私達の周囲の世界を5感が把握する創造事物(five-sense manifestation)と私達が永年見なして来たこと自体、気付くことは難しいと言えるでしょう。私達は日常、意識することなく感覚の判断結果に基づいて生活しており、対象物を積極的に理解しようとは思いません。自分のエゴの興味あることは、とことん調べ上げますが、大抵の場合、感覚の即断結果より、考察を深めることはありません。

しかし、目を閉じれば「美しい」「醜い」の区別は無くなりますし、耳を塞げば快い音色もやかましい騒音も消え去ります。このように私達の感覚を一つ一つ減じて行く試みによって、それらが私達の日常に極めて大きな役割を果たしているか、言い替えれば、私達が如何にそれらに依存しているかが分かります。

一方、本文中にさり気なく"transcend these powers of outer perception"(このような外側の知覚力を超える)と明記されている"outer perception"(外側の知覚力)に留意したいと思います。つまり、従来の感覚は外側の知覚であり、これに対し、内側の知覚 "inner perception"がテレパシー能力の本質だということを示唆しているからです。つまり、アダムスキー氏が様々な所で述べて来たように、外見や外側、物質等のいわゆる結果物に対応するのが私達の従来の感覚であり、その奥、内側にある意識レベルの活動がテレパシーだということを示しているものと思われます。


第1部 2章 段落032 [2009-05-26] <<  |  >> 第1部 2章 段落034 [2009-05-28]