ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落429 [2009-01-29]

429 This does not include visions and travel only but also what we call telepathy. So you may not only get revelations in the form of visions but the impression of thoughts and what they represent. And remember we have not always been noble characters so some scenes and impressions may not be too pleasant to our present understanding yet they were a part of our development, a part of our life. So they should be accepted as a part of history and not rejected for they are you. How often have we said if I had my life to live over I would do things differently. We grow towards nobility by improving upon our past deeds.

429 この啓示とはイメージや旅行ばかりでなく、私達がテレパシーと呼ぶものも含みます。ですから貴方はイメージという形式のみでなく、想念やそれらが何を象徴しているかをも含めた啓示を得ることでしょう。そして覚えておいて欲しいのは私達はこれまで常には高潔な性格では無かったので、その光景や印象の中には今日の私達の理解にとって余り心地よいばかりのものではないことも有り得ることですが、それらも私達の発達の一部分であり、私達の生涯の一部なのです。ですからそれらは履歴の一部として受け入れるべきであり、拒絶すべきではありません。それらは貴方自身であるからです。私達はこれまで何度、もし自分の人生をやり直すことになるなら、物事を違ったやりかたでするだろうと言って来たことでしょう。私達は私達自身の過去の行為に基づき改善することによって高貴な存在に成長するのです。



【解説】

ここでは第11課の最後として、これから私達が体験することになる啓示について解説しています。冷静に考えれば陶然のことなのですが、人間は一夜にして変わるというものではありません。長年積み重なってしまった各自の低レベルの体験にも由来する様々なイメージも出現して来ることを注意しているのです。

しかし、多くは各々の人生や生活にとって有益なものであることは、少ないながらも私の個人的な体験からも言えますので、読者の皆様には安心して戴きたいと思います。

むしろ問題はやって来る印象に素直に従って行動できるかどうかにかかっています。或いは客観的(即ち物理的)状況は苦しいと思われる中にあっても、光明を信じて前向きに生きて行けるかにあるように思います。そういう意味では植物や人間を除いた動物達はその生き方を貫いており、結果を心配する様子は一切ありません。百合の切り花達がつぼみの状態で花瓶に入れられた後、例え最後は枯れる宿命であっても、各々精一杯の花を咲かせる姿はその側面を良く表わしています。

本課では生命の科学の集大成に近付いた章として具体的に意識と交わるとどのようなことになるかについて言及されて来ました。その具体的応用と実践は読者皆様に委ねられているところです。(第11課終わり)


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