ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落428 [2009-01-28]

428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.

428 それが聖典が「わたくしをおいて偽りの神があってはならない」(訳注:365参照)と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが「もし私がこの世界の者であれがそれと戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです」と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。





【解説】

ここでは前項(427)に対して、「偽りの神を持つな」という戒律の意味を対応させた解説が為されています。即ち、各自の感受力が高まり、意識との交流が始まるようになると、様々な想念を感じ取れるようになり、ますます直感的に行動するようになります。その時、前項でも述べましたように、人によっては指導霊のような存在を感じることがあるかも知れません。しかし、それは心が造り上げた架空のもので、ここで言う偽者の神ということになります。

その原因として、各自はこれまで何世代にわたって生まれ変わりを継続しながら生きて来た訳で、それらの記憶に起因するイメージ、あるいは他者から発せられる印象から受ける影響を大きいものと想像しています。従って、これら幻影の存在に左右されてはならないとしています。ひたすら自身の半身である意識の声に耳を傾けること、意識こそ裏切ることのない指導者です。


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