ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課 段落385 [2008-11-04]

385 For some this will be difficult with their eyes open, for the attention will be distracted by things that are seen, so it will be best to close the eyes in order to focus the full attention on the impressions or pictures that come. At first this should not be done for more than five or ten minutes at a time. And do not expect too much at the beginning.

385 ある者にとっては眼を開けていてはこれが難しいでしょう。見えるものによって注目がそらされてしまうからです。そこでやって来る印象類や映像類に全注目を集める為、眼を閉じることが最も良いと思われます。最初はこれを一度に5分ないし10分間以上行われるべきではありません。また、最初から多くを期待してはいけません。





【解説】

前項(384)との関係で言えば、心をリラックスさせる為にそれまで自分の心の中を占めていた関心事を時には完全に心の外に追いやる必要が生じる訳ですが、その際、集中させる為に、眼を閉じることが有効だということです。視覚は心に大きな影響力を持っている為、視覚を遮断することも時には必要だということです。

また、心を静め、意識から来る印象類を受け止め易くする上で、この瞑想は有効だとしていますが、それも一度に長時間すべきではないことにも注意すべきでしょう。当然ながら、祈りや瞑想は一人で行うべきで、あくまで各自の訓練の一部です。一人一人の状況は様々異なる訳ですし、ただ眼を閉じて瞑想したからと言って、直ちに意識からの印象への感度が高まる訳でもありません。少しずつ歩む他はないのです。

私自身としては、従来、ややもするとポジティブなやり方として自分の願望を実現させる強い信念を持つことが強調されて来ましたが、それと同様にネガティブな姿勢として内省や内観という姿勢も大切だと考えています。眼を閉じて静かに自分の心の中を見渡し、湧き起るかすかな印象にじっと心を寄せるような心の態勢づくりも大事です。



ここで参考までにルドルフ・シュタイナーによる仏陀の瞑想について次の記述を紹介します。

「菩提樹の下で、かたよった苦行を捨てた29才の仏陀は、7日間の考察ののちに偉大な真理を見出す。その真理は、人間が静かで内的な沈潜のなかで、いまの人間の能力が与えうるものを見出そうと努めたときに現れるものである。四諦という偉大な教え、八正道という慈悲と愛の教えが現れた。この教えは、慈悲と愛の純粋な教えを道徳的な意味に書き換えたものである。その教えが、インドの菩薩が菩提樹の下で仏陀になったときに現れたのである。

そのとき以来、人間はみずから慈悲を愛の教えを発展させることができるようになった。だから、仏陀は死の直前に内密な弟子たちに、『師が去っていくことを悲しんではならない。わたくしには、おまえたちに残していくものがある。わたくしは叡智と戒律をおまえたちに残していく。その叡智と戒律が、おまえたちのこれからの師となる』と言ったのである。」。(「シュタイナー仏教論集」(西川隆範(訳)、2002年アルテ発行、発売:星雲社))


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