ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課 段落379 [2008-10-24]

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.

379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は誰かが貴方に話し掛けていると誓うことでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これはこれを人々が第三の目或いは全てを見る目として引用することを理解できない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。





【解説】

私達の心が意識を受け入れる体制を整えておけば、意識は私達に単なる印象だけでなく、言葉で語りかけ、またある場合には映像まで見せてくれるということです。それら意識との一体化、融合が達成した人物には3つ目の眼が開くとされて来ました。このような第3の眼に象徴されるデザインは遠くチベット仏教にも数多く表わされている所です。

問題はこれら意識による加護を受けるには日頃から意識に親しみ、言わば「仲良く」しておく必要があります。しかし、この場合、注意したいのは、常人より優れた能力を持ちたいというような欲望からではなく、自分が生きて行く上で真に指導を仰ぎたいとする謙虚な気持から意識に親しむことが重要です。よく私達に「幼子のようになれ」と言われますが、実はその幼子は目の前の母親に全ての信頼を寄せ、全てを委ねていることが、あのように純粋無垢の表情を生み出していることに気付く必要があります。私達が本来、宇宙意識に包まれ、それらの加護を受けていることを確信できるかどうかにもかかっているということです。


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