ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課 段落365 [2008-10-02]

365 The Great Book states, "Have no false gods before Me." For the likeness and image is pure consciousness which is identical with the Cosmic One. It is the One that created the body and the sense mind. And the sense mind must make an effort to find its parent if it is going to fulfill the purpose for which it was created, or have life eternal as the parent does. For this is the only way that man can get back to the household of the eternal state and become one with it. Then and then only will he feel unity with all life and not the separation that he does today. The feeling of distance between himself and that which is eternal will vanish.

聖書は「わたくしをおいて偽りの神があってはならない」と述べています。何故なら似姿や像というものは宇宙的存在と同一の純粋な意識であるからです。それは、この肉体や感覚心を造り上げた存在なのです。ですから感覚心は創造された目的、あるいはその両親と同様に永遠の生命を得る目的を成就する為にはその両親を探そうとする努力をしなければなりません。何故なら、このことが人が永遠に続く家庭に戻り、それと一体になる為に戻れる唯一の道だからです。そうすれば時として、人は全生命との一体感を感じ、今日までの疎外感は感じなくなるでしょう。自分と永遠なるものとの間の距離感は消え去るのです。





【解説】

旧約聖書の出エジプト記20章3節にある「あなたは、わたくしをおいてほかに神があってはならない」とはエジプト出発の後、モーセがシナイ山中で神から授かった十戒の最初の項目です。「主」と呼ぶ神から直接申し渡され、10の戒律が石板に刻み込まれる様子は、映画の有名なシーンです。当時のエジプトには多くの神が設定されており、ユダヤの民に対しては、唯一、このように命令する私だけを神とするよう命じたものと思われます。ちなみに続く第2の戒律は「あなたは自分の為に刻んだ像を造ってはならない」となっています。

これに対して、本文では似姿は本来、宇宙的意識そのものに等しいものであるべきで、両親の元に帰るきっかけに繋がる大事なものであるとしています。つまり、人間本来の源泉への帰還を目指す意味合いから、優れた像を見るのは、効果があるものと考えます。多くの仏像やマリア像に惹かれるのは、その人がそのような高貴な存在を願い求めているからであり、その思いを強くすれば、やがてはその存在に気付ける時も来ると思われます。自然界に普遍に存在する宇宙的意識に日常的に気付くことが出来れば、進化の王道を歩んでいることになります。

同乗記には若い創造主を描いた絵が掲げられていたと記されています。「像を造ってはならない」とは旧約聖書の言葉ではありますが、それは当時の状況においてのことで、優れた人物像を拝することは、むしろ大切なことだと考えています。


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